らくだの足あと 21歩目 2026.6.12

5月に配信を忘れていたようで申し訳ないです。5月のこと、4月のこと、最近のこと。色々書こうと思ったのに、やっぱり1つ1つが長くなってしまいました。航海日誌の続きがどんどん先送りに・・・。(txt:貴子)
らくだ舎 2026.06.12
誰でも
5月は棚田の作業真っ盛りだった。畦塗りは好きな作業だ。でも二時間で一枚塗れるかどうか。タイパの対極

5月は棚田の作業真っ盛りだった。畦塗りは好きな作業だ。でも二時間で一枚塗れるかどうか。タイパの対極

目次

  • 他人の家で目覚める:2026年4月19日(日)

  • 憲法について考えている

  • 智史お話記録。なちかつ・太地9条の会

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他人の家で目覚める:2026年4月19日(日)

4月19日(日) 

 朝6時40分に目覚める。畳の部屋。お布団を貸していただいて、快適に眠り、目が覚めた。妙蓮寺駅にほど近い、アパートの一室。大学生の時に借りていた部屋を思い出す1K(バストイレ別)の間取り。布団を敷いて寝た長方形の和室には、壁に向かって大きめのデスクがあり、デスクトップパソコンが載っている。ここから三輪舎の本が生み出されてきたのか、と拝みたい気持ちになる。左には、天井までの背の高い本棚。かつて資料として読んでいたのかなと思う本や、今気になって読んでいるのかなという本。そして、三輪舎の本。綺麗に収まっている。右には、プリンターと書類を収納したファイルケースが並ぶキャビネット。イベント終わりでお疲れだろうにササッと片付けてくださったその部屋は、すべてのものがあるべきところにちゃんとある感じがした。事務所であっても荒んでいない。こざっぱりとしていて、仕事場としての真っ当な営みが積み重なってきた……そんな雰囲気。

 昨晩案内してくださった時、中岡さんは「片付けたつもりですが、デスクの下にバナナチップスが散らばっているかもしれません。すみません」と冗談なのか本気なのかわからない感じで言って、去っていった。デスクの下に目を凝らす。隅から隅まで探したわけではないけれど、どうもバナナチップスは落ちていないようで、なーんだ、と思う。疲れていても見せてくださるそんなお茶目さが、中岡さんの魅力のひとつだなあと思う。

東京に出張があり、いくつか用事を組み合わせて、3泊4日の予定になった。しかし、延泊分の宿泊費用を捻出するのはなかなかつらい。変なビジネスホテルにお金を回したくない気持ちもある。2週間ほど前、泊まるところを探さなければと思っていた時、偶然本を発注いただいてメールをやり取りしていた生活綴方の鈴木さんが「今度こちらにいらっしゃるときは宿泊できるところもあるので言ってくださいね」というような追伸をくださった。厚かましいと思ったけれど、聞くだけ聞いてみようと、メールした。「事務所にどうぞ、お店番の子たちもよく泊まるのでご遠慮なく」とお返事をくださり、宿泊させていただくことになったのだった。

お店番の子が泊まる、ということまで含めて、この部屋は役割を果たしてきたのかもしれない。

 昨晩は、なんだか、良いものがぎゅっと詰まった箱のなかに入れてもらったような夜だった。『本や街』というイベント。分散型マルシェと言えばよいのだろうか。石堂書店と生活綴方と、不動産屋さんの住まいの松栄、デザイン事務所のtegusu。妙蓮寺のごく近い場所にあるこれらの方々が開催するイベントで、今年で3回目になるそう。関係する作家さん、本屋さん、出版社の皆さんが、4箇所に分かれて出店していて、著者や出版社の方がお客さんと楽しそうに話し込んでいた。私は午後三時半に着いて、話して見て回った。「え。なんで居るんですか、びっくりしたー」「和歌山から?」「ことりちゃん入学おめでとうございます!」知り合いの端っこにいるような私にすら、皆さん本当にあたたかく接してくださる。遠方にいることで、意外性を発揮できるのはお得なことだ。でもどこかで、今回泊めていただけること含めて、遠方から赴くことは暴力的なのかもしれないなという思いも抱いた。今すぐ深くは考えられないけど、今後ちょっと考えてみるべきテーマなのかもしれない。

 『本や街』の打ち上げは、住まいの松栄さんが所有・運営されているらしい、お庭も建物も素晴らしい古民家で行われた。出店場所のひとつにもなっていた。打ち上げのメニューは豚汁とおにぎり。六十人分の豚汁。3kgの米。色川みたいだった。こないだ、野草社さんが来訪したイベントの打ち上げに私が用意したのも豚汁とおにぎりだった。食事を作るのはお店番メンバーのおふたり、カシワイさんとスナダさん。カシワイさんは保育園の栄養士さんで、かつ園の調理も担当されていて、普段から120人分の食事を作っているという!すごい。私もイベントでご飯を作ることもあるが、100人超えは未知の領域だ。大人数のご飯を作る技術について最近興味があったので、もっと色々お話を聞きたかった。私はおにぎりを作るところだけお手伝いに加わった。海苔へのアクセス難易度の問題でスナダさんにおにぎりを託された。渡されてみると、その結びが素晴らしくて、私は密かに感動した。手に持った瞬間、なんだか軽い。米粒の周りに空気が含まれている。自分は形や強度を重視して結び過ぎていることを反省し、そこからはスナダさんみたいに、と注意深く握った。

 徐々に人が集い、様々なテーブルが横一列に並べられ、左右にぎっちりと人が座る。主催者みなさんの挨拶、からの、まみさんとけいさんの結婚発表。会場はおめでとうの声とあたたかな拍手に包まれた。どこからどう見ても、親族一同が集まった祝言の一幕にしか見えない。この家のかつての主人枠で急に挨拶を振られた多聞さんの「畳も柱も喜んでおります」という挨拶も、とてもよかった。本当に喜んでいるんじゃないかな、と感じた。

 「神保町のように本の街にはなれないけれど、本や街くらいにはなれるんじゃないか」。インスタグラムの投稿で読んだ、イベント名『本や街』の名付けの由来。街は人でもある。本の街ではないかもしれないけれど、本の人の街ではあるよなと思った。

 6時代に目が覚めたが、今日は小動物飼養管理士の資格試験があり、神田の会場に10時半には到着しなければならない。落ちることはほとんどないと言われる試験なのだが、やはり、試験を受けるのが久しぶり過ぎる大人としては落ち着かない。4月2日から勉強を始め、Geminiに考えてもらったプランのうち3分の1くらいは実行した。テキストは一通りは読んだし、模擬試験は一度解いて間違えたところを丁寧にチェックした。おもしろいと感じたマイナー小動物の生態について、娘や近所の子どもに話して聞かせることもした。試験前の集中講義と休憩の時間もあるし、行ってから最後、仕上げの勉強すれば良いだろう。そう結論付けて朝の勉強はせず、荷物をパッキングして、昨日買った本を少し読むなどした。やかんで湯を沸かし、持ってきたドリップバックコーヒーを、マイカップにのせ、淹れる。中岡さん、鈴木さんにお礼のメッセージを書きながら『他人(ひと)の家で目覚める』というタイトルが思い浮かび、そのテーマで日記を書いたら面白いかもしれないと思った。

 準備を終えて、周辺で朝ごはんを食べてから行こうと、少し早めに部屋を出た。部屋の鍵を返した後、朝ごはんに悩む。途中にあったパン屋さんは開店前だった。となると、目に入るのはドトールだが、しっくりこない。そうだ、せっかくだから妙蓮寺の名所・菊名池公園のベンチで食べるのが良い。そう考えて、セブンイレブンで値引きされたサンドイッチを買う。持ってくるのを忘れたので、消しゴムと、予備用の鉛筆も。資源を大事にしていない自分に、でも落ち込んでいる暇はない。

公園につくと、水場でスニーカーを洗う若者がいて、驚いたが妙に納得した。外についている水道で洗うべきものだろうけれど、アパートにはそんなものがない。風呂場で洗う事に抵抗があったなら、人気の少ない時間帯に公園で洗ったほうが効率が良いというものだ。ベンチに腰を落ち着けて、私がサンドイッチを食べ始めてまもなく、彼はスニーカーの水をパッパッと切って颯爽と立ち去った。私も食べ終わり、駅へと向かった。

場所:三輪舎事務所(移転前)

忘れ物:ANKERのモバイル充電器

本や街の打ち上げ。カシワイさんとスナダさんが作った、60人分の豚汁。平たいお鍋もとても素敵

本や街の打ち上げ。カシワイさんとスナダさんが作った、60人分の豚汁。平たいお鍋もとても素敵

憲法について考えている

ここのところ、憲法について、考えている。

年明けからあれよあれよという間に衆議院選挙が行われた。正直なところ、頭も心も追いついていなかった。参議院選挙での参政党の躍進に衝撃を受け、どう受け取めるべきなのか、まだ心に収められていないまま。危険な匂いがするなあと高市政権が誕生を横目に諦念とモヤモヤの混ざった感情を抱いていたら、いつの間にか真冬の衆議院選挙が始まっていた。

自治体関係者への負担増や人気のあるうちにという意図が透けて見えるとの批判、Youtube広告の激しさに多くの人が辟易とした、など「周囲」、私の目に入ってくるニュースでは見えていたけれども、結果として高市政権支持のムーブメントは民意という言葉を獲得することになった。自民党単独衆議院3分の2を超える議席確保、これまたいつのまにか手を結んでいた日本維新の会と合わせ352議席を獲得したーーー

これを書くにあたって数値など確認していたら、日本労働組合総連合会(いわゆる雇用者の組織の全国版というのが私の理解)が「第51回衆議院選挙結果についての談話」なるものを出していた。こういうものをちゃんと出す組織は素晴らしいなと思うし、その一文が、私の気持ちを言語化している部分があると感じ、引用する。

1.与党が衆議院の3分の2以上の議席を獲得したことに危機感を覚える

(冒頭省略)連合がめざす与野党が互いに政策で切磋琢磨する政治体制から後退し、与党に大きな力を与える結果となったことに危機感を覚える。

2.政策課題について幅広くかつ本質的な議論が深まらなかったことは極めて残念

(原文から編集、中道改革連合が結成されたが)、その後の選挙戦では「高市政権継続の是非」が最大の争点となり、物価高対策をはじめとした働く者・生活者に関わる政策課題から、わが国が抱える構造的課題まで、幅広くかつ本質的な議論が深まらなかったことは極めて残念である。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/article_detail.php?id=1396日本労働組合総連合会ウェブサイト「事務局長談話」2026年02月09日第51回衆議院選挙結果についての談話

私も、自分が理想としているのは、ちゃんと多様な意見がテーブルの上に出され、ちゃんと議論されて、多数決でねじ伏せるのではなくて、より良い答えを導き出そうとする力が働いている議会だと思う。

不均衡に不安を覚えるから与党に拒否反応を示す、というのは自民党で頑張っている人からすれば、理不尽なことだろう。拒否反応は良くない。何が嫌なのか、違うと思うのかちゃんと認識して言葉にすべきだ。大事なのは多様な意見がテーブルに乗り、さまざまな視点から検討され、議論つくされ、その上で最初に出されたもの(議題・法案・予算)から形を変えてより良いものに変わるという状態になっているかどうか、だ。

・・・ただ、予算も、武器輸出の緩和も、国家情報局設置法案も、スピード通過、スピード成立、というようなニュースを聞くと、暗澹たる気持ちになり、現政権と与党には何も期待できないだろうと思ってしまう。

そして、憲法だ。衆議院の3分の2以上の議席を単独与党が獲得した。この条件が満たされたことにより、憲法改正、それだけでなく、軍事的といえば良いのか、闘争的といえば良いのか、そちらにどんどん政治施策が傾いている。そのスピードに、待ってくれよ、と言いたくなる。憲法改正のプロセスや状況を学ぶオンラインの勉強会に参加したり、デモに参加した方々の声を聞いたり読んだり。少しだけ知識を得ながら、自分は果たしてどう思っているのだろう、と考えている。

港の人から2刷の発行された『日本国憲法』(写真:齋藤陽道)

港の人から2刷の発行された『日本国憲法』(写真:齋藤陽道)

憲法も、時代に合わせてアップデートすべき、という意見は、自分の中にもあると思う。どんどん変える国もある、全く変えない国もある、最初から文章で持っていない国もある、そもそも憲法にあたるものを持っていない国もある。どれが普通、ということはないようだし、「憲法は条文自体は変えずに解釈を変えていくもの」という見解が憲法学者的な態度、というような学者の方の解説もあった。私自身、何がなんでも「憲法改正に反対」ではないのだろう。そして、何がなんでも9条を保持せよ、というのもしっくりはこない。方法の部分を主張しているような感覚があるからだと思う。求めたいことは、戦争から、争いから、人が人を殺すという行為から、できるだけ遠い距離であろうとすることを、国の柱としておいてほしいということ。この国だけでなく、世界中の国に対してそうしようと呼びかけることを、やめたくないと思う。私自身は、磨き抜かれた感じのする、憲法の言葉が好きだ。9条の文言も。だから、変えずにあれたら良いと思っている。


現状の私の認識として。現在最新で自民党が改正を目指しているのは4項目についてである。
https://storage2.jimin.jp/pdf/constitution/news/20180326_01.pdf
平成24年の自民党草案からだいぶ現実的なもの、本当に国民投票で通すことを意識したものに変わっていると感じた。だが、平成24年の草案も特に取り下げた、という位置付けではないようだ。これまでの草案も下敷きにしながら、最新の考えとしてこの4つを改正することを目標と定めた、ということなのだと思われる。

その中で、私がまず疑問を感じるのは以下2項目の改正についてである。

自衛隊の明記については、結果として反対したい。明記することで、争いに携わらなければいけない場面が増加する可能性の方が高いと考える。明記して違憲論を終わらせた方が良い、という論理自体はわかる。自衛隊の存在自体は否定はしない、違憲状態であるとも思わない。解釈で現状、で良いと思うのだが。そして、内閣総理大臣が最高指揮統率者、という点がとても不安である。力が偏り過ぎるのではないか。

いわゆる緊急事態条項について。最新情報と思われる上記pdf叩き台の表現からすると、大きく反対しなくても、という印象も受ける。だが、内閣に権限を集めることが怖く、危険だと思う。自衛隊の最高指揮を持った内閣総理大臣らが、熟慮せずに政令を定める・・・。緊急時にどれだけそんな必要性が過去あったのか疑問である。具体的にこれまでそんなにも内閣に権限を集めねばできない災害対策があったのだろうか。強権は民主主義の反対の場所にあるのではないのか。

この2項目。私自身に、自衛と国防の視点は抜けているだろうなと認識はしていて、問われると答えられないと思う。そのあたりは、もっと勉強しないといけない。

最近考えていて、ああそういうことかなと思ったのが、子ども(中学生くらいかな)の時から、第二次世界大戦後この憲法を選び取ったのだということを、私はどうも誇らしく思っていたようだ、ということだ。非核三原則もそう。だから、今胸に広がっているのは、悲しい、という感情が大きい気がする。けれども、被害者のような顔で、悲しいと言うのはきっとダメなんだと思う。私にも責任がある。民意にしてしまっているそのひとりだからだ。だから、少しずつ、どう思う?という問いかけだとか、私は今こう思っていて、ということだとかを、している自分になっていきたい。

考えつくされ、切実な願いを感じる。「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」「全世界の国民」

考えつくされ、切実な願いを感じる。「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」「全世界の国民」

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智史氏のお話記録。なちかつ・太地9条の会

「5月3日に、なちかつ・太地9条の会を再開する集会を開くのだけど、そこで話をしてほしい」。

夫の智史が、よくお店に来て近況をヒアリングしてくださる共産党の町議会議員さんからお話を受けた。その話を聞くまで、私たちの住む町にそんな会があることを知らなかったし、9条の会、というものが、日本全国にたくさんあり、当時は全国の地域が連帯しながら活動をしていた、というような歴史的な文脈も全く知らなかった。つい先日の5月22日、岐阜県郡上八幡で開催された「平和の日」のイベントも、郡上9条の会が共催していて、ブースを出して署名活動など頑張っておられた。本当に全国に活動している方々がいるんだ!と肌で感じられた。

5/22郡上八幡『平和の日』に寄付ブースで配布されたシルクスクリーンのパッチ。らくだ舎店頭に一部をお預かりして置いている。寄付金は国境なき医師団への寄付となる

5/22郡上八幡『平和の日』に寄付ブースで配布されたシルクスクリーンのパッチ。らくだ舎店頭に一部をお預かりして置いている。寄付金は国境なき医師団への寄付となる

調べると、9条の会のホームページ(取り残された遺跡のようなホームページで、なんだか感動した)はちゃんと存在していて、そこには、呼びかけ人である多数の著名人による当時のスピーチ動画も残されていた。3日の会の時にも、再開の挨拶をした方が触れられていたけれど、発起人の多くはすでに鬼籍に入っている。時の流れ・・・そして今また、動き出そうとしていること。こうした会がこの町にもあることを知って、捨てたものではないな、という嬉しい気持ちになったし、年代の違う方とも連帯できる可能性があるんだ、とも思った。

当日は、私も娘も一緒に会に出席した。参加されていたのは、だいたい30名ほどだっただろうか。多くは、OVER70の方々であるようだった。これまでの活動のことや、なぜ皆さんが9条の会に参加したのか、ざっくばらんに聞くことを期待して参加したのだが、当日のスピーカーは新しい人に若い人に、ということだったようで、智史と、同じく色川の仲間である酒井さんと、勝浦の町で『おでんと平和 No.9』というおいしくて愉快な居酒屋を切り盛りするマスターの3名(私は子守であまり聞けなかった)で、私自身は、昔から活動していて再集結した皆さんの声をあまり聞くことはできなかった。智史は会のあとなどに少し話せていた様子ではあったが。

この会として、これから実施していく計画としては月に1回のスタンディング行動、9条の保持と平和を求める署名活動とのこと。私自身は、多様な考えの方と実質的な対話の機会をいかにつくるのか、という点を考えていきたいと思っていて、クラシカルな方法の、地方における有効性については疑問を感じている。意味はあると思う。有効性という問題でもないのかもしれない。ぐるぐる考える。連帯という概念はあるけれど、実質それはどういう状態なのだろう。さて、以下は智史のお話した内容の録音書き起こしである。こういう時、全然緊張しないようですごいなあと思う。

ーーーーー

こんにちは、らくだ舎という場を、色川地区で運営しています千葉です。喫茶店と本屋と、えっと、まあ、地域商店みたいな、それらが混然一体となった場所の運営を始めて今8年ぐらい。 今日は妻と子どもも一緒に来てるんですけど、まあ、家族3人で運営しつつ、商店の方はもうひとりの方がやってくださっていたり、協力しながらお店をやっています。

もともと僕の出身は北海道で、北海道から東京に大学から出ていきました。 東京に出たのは、やっぱり、その当時は都会に行きたかったんですよ。 もう、とにかく都市に出たいと思って、行くなら東京だろうと思って、幸い東京にはおばあちゃんがいたので、ばあちゃんを頼って東京で暮らしていました。大学の時はすごい楽しかったんですよね。 だけど、働く場所も東京を選んで8年ほど働いてたら、やっぱりなんかこう、まあ、疲れてくるっていうのもあるし、東京という都市、人がめちゃくちゃたくさんいる場所って、もしかしたら、働く場所としてはあるのかもしれないけど、住んでいる場所としては、あんまり適切じゃないような気がして。

2、3年くらい、どうやってこれから生きていこうかなって考えて、ご縁があって、色川という山里に移った。 今10年ぐらいたって、まずそういう資本主義的な場所、お金を稼いで稼いだお金で購入する、サービスとして消費していくというサイクルから、今も完全に逃れられているわけじゃないんですけど、そこから一歩足を外すことができるようになりました。体全体をそこに預けきらないという今の在り方は、すごく心地いいし、あちらに居続けなくてよかったなぁってすごい思っていて。

昨日地震がありましたけど。お金っていう話だけじゃなくて、言葉としてはコミュニティって言葉になるんでしょうけど。東京では、自分が住んでた場所、アパートだったんですけど、その下の階の人も知らない。本当にこんな薄い隙間ぐらいしかなくて、もう隣の建物がある、でもその隣の建物の人たちも、もちろん誰も知らない。荒川が近くにあったんですけど、川が氾濫したら一瞬で死ぬなみたいな場所で。そういう時に自分が何ができるかって、周りの人を知らなかったら何もできない。今、色川の小阪っていう集落に住まわせてもらっていて、ちょうど今日の午前中に区の総会があって、そこの役を持たせてもらっていて参加してきたんですけど。そこに来る人みんな、当たり前ですけど、知ってる人なんです。それで、今日の午前中まさに、地震になったらどうしようみたいな話が出て、ある人がもう立ちすくんじゃったって声があって。そういう時にどうやって逃げるか確認したいね、みたいな話が自然と出たりして。なんかそういうのも、やっぱり、ここ来てよかったなと思いますし、求めていたものだなと思います。何か移住する前の当時は、そういうのって 想像でしかなかったんですけど、それがこう実現目の前にあるっていうことは、すごいありがたいなと。今日思ったんです。

人というかロバと語らう智史

人というかロバと語らう智史

で、まあ、その中で自分が何ができるかって考えた時に、商店とか、喫茶店って、まあ、人が集まる場所になるので、普段、やっぱり色川の中って皆さん忙しいし、みんなそれぞれ個々で動いているので、みんなで集まって話せる場所がなかったりします。何か文化的なことをちょっとやろうという時に、なかなかその場所がなかったりもして、そういう場所があったら活用されるかなとやらせてもらって、7、8年ぐらいになります。

ちょうど今日、酒井さんが来ていますけど、色川に住んでいらっしゃる酒井さんは英語の翻訳をされていて、最近翻訳した本が商業出版で出まして。その本の刊行記念イベントをらくだ舎近くのお寺でやって、交流会をうちのお店でやったのですけど、僕は司会やらせてもらった。そういう人が集まってちょっと話をしたりする場所をやっています。

その延長上に。やっと本題ですけれど、憲法を守るとか、そもそも対話みたいなことがあるような気がしていて。少ない知識、少ないニュースに触れる機会ですが、見ていて思うのは、あまりにも対話や議論がないままに、性急に物事が、しかも特定の人たちだけで決められていくっていう、この構造がやっぱりなんかちょっとおかしいような気がしていて。

もちろん、その政治家の人たちに、自分たちの1票を渡しているという意味では、代わりにやってもらっているというのが代表制民主主義だと思うんですけど、選挙の後にも、こっちの声って本当に届いているのかなとか、なぜその届いているはずの声がないがしろにされた状態で、話が決まっていってしまうのかなってずっと疑問で。そういったところで、自分にできることはなんだろうという答えの1つが、本屋としての表現です。

自分の生き方の表現として、まあ、近くには本屋がないし、こうした場所は、これからもできる限り続けたいなと思いでいます。こんなこと別に声高に言うことじゃないんですけど、ヘイト本とかは別に置く必要もないっていうか、そんなものは必要ないよねと思っているので、そういう本もないし、まあ、特定の・・・安倍晋三さんの本とかめっちゃ売れてるらしいんですけど、そういう本とかを置くつもりもまるでなくて、それは思想的なところもあるけれども。

世の中にいろんな考えの方がいて、いろんなこと言っていいと思ってる方だとは思うんだけど、先ほどお伝えしたような、変なことやって、変なふうに崇め奉られているような人たちの言葉を喧伝していくためにある本屋というよりは、すごい小さくてもそこにいること・・・(を大事にしていく本屋でありたいと思っている)

今、生活史というジャンルの本が結構売れていて、それって何かというと、個人の方々の生きてきた歴史とか、それを聞き書きで書き取ったりとか、文章として表現していくみたいな手法があって、それがすごい売れているんですね。 それも、なんか今の時代の1つの流れのような気がしていて、大きいいわゆる歴史と言われるようなもの、勝った人が作ってきたようなものじゃなくて、そこでずっと暮らしてきた人たち、そこで生活実感を持ちながら生きてきた人たちの言葉を拾い上げようという動きは本の業界の中でも結構あるので、そういうことを大切にしながら、これから先も生きていきたいなと思っています。

と言いつつ、えっと意外に長くなってしまいます。 1個だけ、せっかくこういう場なので、議論、対話のきっかけにしたいなと思って言うんですけど、僕は団体行動がとても苦手です。学校が多分自分のトラウマの1つだと思うんですけど、学校で僕、すごいうまくやってたんですよね。 わりと八方美人だったし、いろんな人とうまくやれてる方だったんですけど、とはいえたくさんの人が集まって、何か1つのことをやる時のひずみとか、弊害みたいなこと、いろんなとこで多分生まれていて、それに結局やっぱり自分はなじめなかったんだなって思っていて。

何かの会に所属して、何かをする。僕はこう、どちらかというと、自分はそういう集団からは弾かれてきた人間な気がしていて。何かに所属することによって、はじかれてしまう存在を生んでしまったり、その人たちを汲み取れないみたいなことに対して、謎のこう、罪悪感というか。 何かどうどうしたらいいんだろうなみたいな疑問みたいなものが常になんか心の中にあって。そこをこう揺れ動きながら生きてきたんですけど。

とはいえ、やっぱりさっきの特定の人たち、権力を持っている人たちが勝手に決めていくっていう力の構造に対しては、一人一人では対抗が難しいから、 まとまっていく力がないと対抗していけないのかなと一方では思っていて。そこの揺れ動きをずっと繰り返しながら、今41歳なんですけど、生きてきました。 なので、これから先、僕はどう9条の会に関われるのかちょっとまだ分かんないんですけど、少なくとも関わってこられた方々にお話を聞きながら、今までどうだったのか、逆にどういうところが難しいのか、みたいなお話を聞かせてもらいつつ、できることを考えていけたらなと思っています。 すごい小さい所信表明で恐縮なんですけれども、こんなところで終えたいと思います。 ありがとうございます。

ーーーーーらくだ舎千葉智史、5月3日 なちかつ・太地9条の会でのお話より

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発信など色々

Radio「らくだ舎のきらくなラジオ2 」月1回くらいで更新。しばらくしていなかったけれど、こないだ復活しました。最新話は今気になっていること雑談前後編。

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