らくだの足あと11歩目 2025.2.11

ウェスにしようと思っていたサイズアウトのワンピースをマントに、牛に会いに行くため走り出す娘の図
目次
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都心に住むことは、ショッピングモールに住むようなものかもしれない
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【絵】を描く人と、幸福に、協働することはできるのか
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本を売る。心の通う「中量」をめざす
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書いた記事やお知らせなど
都心に住むことは、ショッピングモールに住むようなものかもしれない
久しぶりに、新宿に降り立った。一人出張は一年ぶり、夜行バスは数年ぶりだ。勝浦温泉発大宮(埼玉県)終着の夜行バスは、夜19時半に勝浦を出発し、新宿には朝6時少し前に到着する。身支度できる場所を探し、雨が降る新宿をうろうろとした。この街では、落ち着いて座ったり、着替えたりするためには、専用の場所を探して、お金を払わなければいけない。舗装された道を、ネットカフェに向かって歩き出す。
新宿駅からは間断なく、縦に伸びた雑居ビルがずらりと続いていた。ビルの左端には、入居している店舗の小さく色とりどりの看板が上から下までまたしてもずらりと並んでいる。ホルモン焼肉屋、チェーンの牛丼屋(24h営業なのでもう開いていて、たくさんの客がいた)、うどん屋(こちらも驚いたことにもう開いていて、なんとかUDONが1300円ほどだった)、エステ、占い、居酒屋、ラーメン屋、バーガー屋、パソコン教室的な感じのお店etc.etc……
その様子を見て、そうか、東京は増殖した商いの街なんだな、と思った。都内でも場所によることは重々承知しているし、新宿駅前を見たらそうだろうと言う声が聞こえてきそうだけれど、根っこの部分で、この街では「暮らし」や「生活」は、いつでも「商い」とごく近いところ、隣り合わせで存在しているし、地域として、生活にも商いにも適した街であろうとしている、とは言えると思う。例えばこの新宿あたり、東京の中心地に住むということは、まるでショッピングモールの中にちんまりと居住区があって、そこに住んでいるような状態なのかもしれない。ゾンビ映画の定型フォーマットだ。ゾンビ映画には、じつはそんなメッセージ性があったのかもしれない。
ちょうどその、新宿に着いて街を彷徨いていたタイミングで、「色川山里ラジオ」の千鶴さんの回を聴いていた。群馬県館林市出身の千鶴さんは、高校生の時東京まで買い物に行っていた、それが遊びだった、と言っていた。私も茨城県出身、同じ北関東なので、その感覚はよくわかる。高校生になると、おしゃれな子は年に1〜2回東京まで買い物に行っていた。(私はおしゃれになれず、水戸でできる買い物に満足していたので、友達と東京まで行くことはしなかった)東京は、買い物に行く街だった。
田舎の方が住みやすいよ、暮らしやすいよ!と、万人に言えるわけではないと思う。暮らしのさまざまなことをサービスが担ってくれることは便利で、贈られる恩も返すべき恩もないことは、気楽だ。いや、都会に生きていても、多くの人は、贈られる恩、返すべき恩が全くないわけではないだろう。家族や職場の人にお世話になったり、友人知人から贈り物を受け取ったり、恩の量が総じて少なく、近しい関係に限定されているから、それ位の量がちょうど良いのだ、ということかと思う。
買い物が心底好きな人、専門の人が作った料理を絶対に毎日食べたい人もいるのだろう。アートや音楽、映画、たくさんの人の「ある視点」が、至る所で提示され、それに触れやすいことはとても面白く、自分を耕すことにもなるだろう。私だって、出張ついでに久しぶりにライブに行って、めちゃめちゃ良くて、年に1回くらいは、ライブで生音に触れたいと強く思った。

仕事の関係で50分くらい遅れてしまったけど、悔しいけど、行ってよかった
別にショッピングモールに住んだっていい。泊まれるIKEAだってあるし、実際私もちょっと泊まってみたいなと思った。いつも思うけれど、大切なのは、「それを選ぶ」ということだ。生活と商いが密接な場所で暮らすという自覚。そこに違和感がある場合には、ちょうどいい距離感を探るだけなのだと思う。
以上、移住した時からずっとわかっていたことのような、でも今改めて新宿を歩いて妙に腑に落ちたこと、でした。(txt:千葉貴子)
※同様の内容を、2月後半に更新される「らくだ舎のきらくなラジオ2」で喋っているけれど、うまく話せた気がしなくて、こちらでもテキストで書いてみました。更新はもうちょっと先ですが、よかったらそちらも聞いてくださいませ。
【絵】を描く人と、幸福に協働することはできるのか
先日、greenzの三重県尾鷲市で行われている、森林の未来のために取り組む林篤志さんの記事と、
プレジデントオンライン の記事(実際見たのはYahoo!ニュースだけど)を立て続けに読んだ。
※クラビトステイ ウェブサイトhttps://kurabitostay.com
これらの記事を読むに至ったのは、私の中にある課題意識が影響しているのだけれど、そのことは一端置いておく。
余談だが、私は移住を決めたがまだ移住する前、東京にいながらも地方移住について考えを深めたいという理由で、林さんの主催する「ローカルベンチャースクール準備クラス」なるものに半年ほど通っていたことがある。平日夜二時間ほど、月2回くらいの頻度で行われた市民講座が基本で、終盤には2泊3日だったか1泊2日だったかのフィールドワークが1回あった。フィールドは3つあり、岩手県遠野市、三重県尾鷲市、岡山県西粟倉村のいずれかから選ぶ形だった。私は色川に移住することを決めていたので、近い場所ということで尾鷲を選択した。この当時から、尾鷲のキーパーソンと林さんはつながりを持っていたようだ。
このローカルベンチャースクールの事業モデルとしては、地域おこし協力隊の制度を地方での起業準備期間と捉え、総務省からの年間予算を利用しながら、地方に移住しての起業を支援するというものだった。ローカルベンチャー側は中間支援組織となり、一定金額を地域おこしの費用から獲得しながら、移住者の起業支援を行う。地域おこし〜は最大3年と任期が決まっているので、3年経つ頃には、起業を完了し、自己資金で自走できるようになっていることをめざす。地域側には移住者が定住でき、地域課題と起業は結びつくはずなので、地域課題を解決しながら、経済的にもうまくいく、というモデルである。
私がこのクラスに通っていたのは、夫が地域おこし協力隊の任期1年目の時。夫の主張する地域おこし協力隊は、本来は起業支援のための制度ではなく、地域に移住する人の定着をめざすものだ、というもので、地域おこし協力隊はどうあるべきか悩む様を知っていた。
このクラスで地域の事例としてスピークする人たちの話を聞くと、隙のない、もうみんなこれやったらええやないかいというモデルのように感じたのだが、夫の主張とはどうも食い違う。夫も、こういう在り方もアリだし、中間支援組織の存在はとても重要、という立場のようだったが、この隙がないように見えるモデル(つまり、これが本題である「絵」ということだ)のどこかに果たして問題があるのだろうか。と思いつつ、ふむふむ、と事例を聞いてはもうこれでええやないかいと思いつつ、尾鷲では実際に地域おこしで活動する方の話などを聞いたり、美味しいエビを食べたりして、まだ住んでもいない色川のよくわからないツアー(きみシカいないツアー、婚約指輪と狩猟体験ツアーを組み合わせたもの)を最後に提案してちょっと褒められたりしつつ、ローカルベンチャースクール準備クラスの半年は終わったのだった。
ちなみに、フィールドワークの時、色川に移住することを尾鷲のキーパーソンの方に伝えたら、もちろん色川のことは知っていて、色川のある林業家の人は知り合いだった。「色川に行くの?!あんなストイックなところ、よく行くね。俺には無理だなあ」と言われて、ガーン、そ、そうなの!?ストイックなの!?と軽く衝撃を受けた。今でもたまにこの言葉を思い出すが、ストイックで何が悪い!と奮起したり、ストイックになりすぎないようにふざけよう・・・と思わせてもらったりもする。総じて、率直な見え方のひとつを知ることができ、非常に参考になったと言えるだろう。
greenz記事序盤で語られる「持続可能性とか言ってる場合じゃなく、今踏みとどまらなければ生存の危機である」という肌感覚は、非常に共感するものがあった。山、森林の問題は、本当にまずい。今やらないといけない。その危機感は、すごくよくわかる。その危機感を抱くところで終わらずに、こんなにも大きな動きを実行していること、素晴らしいことだ。

私たちも今年は、山のことにいよいよ取り組もうと思っている
ひとつ気になったのは、尾鷲市側の登場人物が、市長と役場の方に限られていたことだ。事前に話をチラ聞きしていたからかもしれないが。例えば、地元の林業家の方が、肩を並べて取り組んではいないのだろうか?もちろんこの記事は、林さんの構想とモデル、その想いに軸足を置いた記事であり、省略されているのかもしれない。
綺麗な絵を描く人。高いIT技術とシステムを熟知し、それを活用する未来を描ける人。そんな人たちと、地方に生活する私たちは、手を取り合って、幸福に連帯し、より良い未来へのプロセスを進んでいけるのだろうか。いけないのだろうか。「連帯できない」と断じることは、してはいけないことのような気がする。
揺るがず明らかなことは、みんなが幸福に動いていくための最適解のひとつは、丁寧なコミュニケーションでしかない、ということである。それを証明しているのが、2番目の記事「クラビトステイ」田澤さんのやり方だろう。毎週近隣飲食店で食事をとる。自ら蔵元に、発注された日本酒をとりに行く。トップ自らがものすごく丁寧で濃密なコミュニケーションをすることで、放っておけない、応援したろか、という気持ちが相手に芽生える。周囲をモチベートていく。田澤さんは、自ら移住してこの土地に生活している。そうした姿も、彼女の覚悟と想いを伝える手段となっていると思う。
プロジェクトの規模が大きければ、トップ自らが丁寧なコミュニケーションをとることは難しいだろうし、そうすれば絵を描ける人がひとりできるプロジェクトは限られ、今ある社会課題に対応できない、と考えることもできるだろう。トップが自らコミュニケーションをとることは、必須要件ではない。進める人たちがコミュニケーションの丁寧さを重視する共通認識をもち、その役割を果たせば、きっとその要件は満たされる。
丁寧なコミュニケーション、という結論はよくよくわかっていたことなので、今回の話の主題ではない。今回思いついたのは、「地方で何かをして行く時、大事なことは、綺麗な絵ではなく歪な絵を描くことなのではないか」ということだ。
SHINRAの事例は、こういう仕組みならうまくいく、という事業モデルを考えて進めていく帰納法的在り方のように思う。外発的な地域課題開発事業には、こうしたパターンが、非常に多い。モデルと仕組みがあり、そこに人を当てはめていく。これに適したやり方は、新規採用だろう。こうしたらうまくいく、こういう人材を募集する。地域住民に適した人材がいれば雇用が生まれるし、募集に応じて移住してきた人が定着すれば、それは幸せなマッチングだと言えるだろう。
だが、この地に暮らす実感として、とにかく、最大の課題は、「人がいない」ことなのだ。募集したとして絵を描くための全てのピースを埋めることができるのだろうか。人口減少社会のなかで、本当に? しかも紀南(尾鷲も含まれる)という、辺境の地で。千葉県だったらできるかもしれないけれど。(いつもこう言う時、千葉ならできるのかも、と思ってしまう。どこにだって尽力している人はいるわけで、千葉ならなんでもできるわけではないはずだが、立地と人口からそう考えてしまう狭量な自分がいて、嫌なやつだなと思う・・・)
私がここで言う歪な絵、というのは、そこに住む人の課題意識・できること・やりたいことを繋ぎ合わせて、全く綺麗に絵は描けないけれども、なんとか絵を描く、とことだ。
もちろん、事業として成立するために、どうしても必要なピースはあるだろう。どうしても足りないピースを見極めて、1人、2人を、なんとか募集する。綺麗な絵ではないが、六割くらい何が描かれているかわかる・・・そんなシステムと事業が、現実的に本当にドライブする地方の取り組み方、なのではないか。
きっと順番はどちらでもいい。最初に綺麗な絵を描いたっていい。でも、それをそのまま実現しようとしないことが大事なんだと思う。綺麗な絵に、絵の具を塗り重ねるようにたくさんコミュニケーションを重ねて、徐々に歪な絵を描いていく。取り組みながらさらに絵の具を塗り重ね、綺麗な絵(理想)に向かってアップデートしていくことはできるだろう。反対に、いまいる人とたくさん話しながら歪な絵を描いてスタートし、綺麗な絵に向けてアップデートしていくこともできるだろう。
抽象的で直感的な話をしている。理論的に色々不足していること、そして引いた事例について、実情を知らずに書いていることをお断りしておく。(txt:千葉貴子)
本を売る。心の通う「中量」をめざす。
ニュースレターでも度々お知らせしているが、昨年12月に出版した絵本『バナナのらんとごん』。1月から一般販売を開始した。らくだ舎出帆室としては、『ニ弍に2(にににに)』が一作目、この絵本が二作目となるのだが、『ニ弍に2』と本作は性質が大きく異なるため、現在進行形で迷い惑いながら、「本を売る」ことに取り組んでいる。
『ニ弍に2』は、できるだけ、手渡すように販売すると決めている。だから、らくだ舎の店頭、ネットショップによる直販を基本としつつ、心通じると感じた独立系書店さんに、できるだけ私たちが直接赴いてこの本のことを伝え、取り扱っていただいている。部数も1,111部に限定しており、増刷はしない。1,111部には全てにシリアルナンバーを入れてから販売していて、裏見返しには図書カードの体裁をしたしおりをつけている。これは、購入した人が所有者となって終わるのではなく、いつか誰かにこの本を手渡してもらうことを想定し、その気持ちを表すためにつけているものだ。まとめると、『ニ弍に2』は、できるだけ小さく、強度を上げて、届けようとしている本と言える。
課題もある。この本は、頑張って販売しても金銭的な利益が生まれない。直販か書店経由かの割合により試算は多少変わるが、おおよそ、全部売り切って制作費用と同じくらい(私たちの稼働は含まない)になる見込みである。一般的に本を作って売るという商いは、たくさん売ることで経済的利益を生む構造になっている。「重版出来」という言葉、マンガやドラマによって知っている人も多いと思うが、重版したらお金の面ではとっても嬉しいのが出版の世界だ。本の価格は、重版(あるいは最初からたくさん刷る場合もある)によって利益が出るような値段になっている。そういう意味では、私たちは『ニ弍に2』の値付けに失敗しているとも言える。この部数で、この印刷仕様で、自分たちの稼働を金銭価値に対応させるのであれば、あの本は少なくとも5,000円代で売るべきであった。しかし、初めて、そして何者でもない私たちが出す本だ。それでは手にとってもらえないのではないかと危惧したし、お金を持っている人だけが手に入れる本でいいのかという逡巡もあった(現状の4,290円税込だって充分に高いけれど)。
話がちょっと逸れた。小さく強度を上げて届けたい『ニ弍に2』に対し、今回制作した『バナナのらんとごん』は、「できるだけたくさんの人に届けたい」絵本である。私たちだけではなく、NPO法人APLAとの共同出版という違いもある。バランゴンバナナの民衆交易という、奇跡みたいなことが今この瞬間までずっと続いていること、その存在を多くの人に知ってほしい。たくさんの子どもたちに、傷があったり黒かったりするバナナがあること、それらは捨てずに食べることができるんだと知ってほしい。だから、作った絵本なのだ。

手タレは誰でしょう?(よく見ると爪に土が・・・手タレ失格)
であれば、amazonで販売すべきなのか? 大手書店に並べてもらうために、私たちの身の丈には合わない取次会社さんと契約を結び、なかなかの料金(もちろん、取次さんにしていただく業務内容を考えると全くもって当然支払うべき金額)を毎月支払って、その料金を回収できるくらいたくさん売るように広告を出稿して、その出稿したお金も回収できるくらいたくさん売るべきなのだろうか。売るべきなのかもしれない。でも、私たちはどうしてもそこで立ち止まってしまう。

書籍情報データベースに登録したところ、いくつかの大手書店ショップで表示されるようになっていた。カートが表示されるが、実際にはこちらの書店でこの本を買うことはできず、在庫切れ扱いになってしまう。在庫がないように見えてしまうのは困る(めちゃくちゃ在庫ある!)、露出するという意味では良いと捉えることもできるけれども、複雑な胸中だ
売れれば売れるだけ良いという右肩上がりのモデルは、民衆交易の有り様とコンフリクトする。ひとつひとつ、それがどういった食べ物なのか、どこで誰が育てていて、そうした当然知るべき情報が、食べ物とともに手に渡る。取引が主体なのではなく、取引を一つの要素として、アジアの人々と連帯する。手から手へ、People to People が、民衆交易なのだ。そのことを伝える絵本なのに、たくさんの人に届けたいからと、この絵本だけ売れるだけ売ることに違和感がある。
現在の結論としては、身の丈に合わないことはしない、違和感のあることはしない、というところにいる。無料でできることはもちろんするし、1万円かからないくらいの出稿で、合うものはしていこうと思っている。取次についても、少額で利用できる直接取次プラットフォームに登録したり、私たちでも結べるところを探したり、民衆交易と関わりの深い生活協同組合の組合員さんへこの本を届けるための取次会社さんとの契約はなんとか結べないか模索してもいる。たくさんの人が読んでくれたらという願いは変わらない。でも、ばら撒くのではなくて、積み重ねてたくさんにしたい。たくさんだけど、それは天井のない「大量」ではない。私たちのめざすたくさんは、きっと中量である。私たちらくだ舎出帆室は、少量から中量へとシフトしていくと思うけれども、中量にもグラデーションがあって、この絵本について言えば、大よりの中量のところをめざしているのだと思う。顔が見える、のは難しい量だけれど、心の通う、この絵本が届いてよかったとこちらもあちらも思える人に、この本を届けていきたいと思っている。(txt:千葉貴子)
書いた記事やお知らせなど
●『バナナのらんとごん』絵本ナビに掲載してもらったよ。ぜひレビューしてね
絵本を作るときに、色々な絵本を見たり検索するのに利用させてもらった「絵本ナビ」。無料で掲載できるとのことで、載せていただいた。小さなわれらにもとても親切に接してくださってありがたい会社さんだった。ちなみに、ここでも「品切れ中」と表示されているが、これも仕様上のもので、とある取次さんの在庫と連動しているのだそう。本文の方にらくだ舎へのリンクを貼ってくださっている。レビューがあると届くと嬉しい人に届きやすいと思うし、感想(あまり批判が多いと落ち込むかもしれないけれど、受け止めるしかないと思ってます)をもらえたら嬉しいので、らんごん買ってくださった方はぜひレビューを寄せていただけるとありがたいです。
●らんごんの記事を書いたよ
前職からのつながりで、首都圏の生協パルシステムのオウンドメディアKOKOCARAに企画を持ち込んで、らんごんの記事を書きました。改めてATJとAPLAに取材をして、正規品と規格外品の関係性を整理することができたり、一般的バナナと比較しながらバランゴンの規格外の意味を深く知ることができたり、自分で言うのもなんですが、良い記事になったと思います。(APLAの福島さんも書いてもらってよかった!と言ってくださってました)ここまでニュースレター読んでもらっておいてどうかと思いますが、別日にでも読んでもらえたら嬉しいです。編集についてくれたSさんFさんありがとうございました。
発信いろいろありまして
Radio「らくだ舎のきらくなラジオ2 」月2回くらいで更新。暇な時に聴いてください。リンクはpodcastですが、spotifyとYoutubeでも配信してます。
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