らくだの足あと13歩目 2025.5.23
目次
-
ロバがきた2:ロバを乗せての珍道中(智史と貴子の合作)
-
最近の仕事(WORKS)
ロバがきた2:ロバを乗せての珍道中
前回、智史が「続く」としたまま、4月にレターを出せずに月日が流れてしまった。私(貴子)も気になっていたので、それに続けるような形で、智史が書いた雑誌『のんびる』への寄稿から引用しつつ、私目線での補足も入れながら、受け入れの珍道中をお伝えしたいと思う。※後半の一部をメール登録者限定公開としています。
受け入れ当日朝・・・
この日、待つしかない私(と娘)は朝からずっとソワソワしていた。連絡はいつ来るだろうか。手元にスマホがあると、連絡が来ていないかすぐに見てしまう。
ロバや関係者の皆さんへの挨拶もそこそこに、軽トラの荷台へロバを誘導、とすんなりはいかず……。ずっと群れで生活してきたロバは、(群れから)離れることはもちろん、慣れない軽トラへの乗車を嫌がり、踏ん張って動こうともしません。内心とても申し訳ない気持ちでしたが、ここで怯んでもしょうがない。引き取り先の方々にも手伝ってもらい、2人はロープで頭の方を引っ張り、2人はグイグイとお尻を押し、なんとか乗車に成功。大型ダンプが走る2車線の道路をおっかなびっくり軽トラで走り始めました。

送られて来た写真がこちら
私のもとには、ロバ軽トラに乗りました、の一言と共にこの写真が送られてきた。とりあえず、よかった!そして、やっぱりとっても可愛い・・・!早く会いたい!気持ちは高まる。しかしその後、運転をしているからだろうが、智史からの連絡が途絶える。その日はちょうど、『色川山里ラジオ』の収録日だった。私はらくだ舎にて「今日ロバがこちらに向かっているんですよ」と言いながら、ラジオを録り始める。その間だけはヤキモキせずに済んだので、ちょうど良い時間の過ごし方だった。
※ちなみに、この時収録していたのは白水洋子さんの回。脱線しつつも40年前にも面白い人たちが生き生き暮らしていた様子をお聞きできたり、洋子さんの力強さと明るさだったりがとても楽しい収録でした。youtube貼っときます。サムネイルの私の顔、これはソワソワしてる顔です。
奈良公園でシカを驚かせながら、時速30キロの軽トラは進む
ロバは、軽トラ乗車後も「いや!いや!」という感じで、繋いだロープを度々引っ張り、ケージが壊れないかヒヤヒヤ。ナビが行きと違うルートを指し示したことで、奈良公園のど真ん中を横切ることになり、たくさんの外国人観光客に見守られたり
智史はこんなことになっていたらしい。到着後、同乗してくれた先輩ロバ飼いJさんと珍道中を振り返りながら「あとにも先にも、奈良公園のシカにロバを見せつけて走ったのは我々だけなんじゃないか?」とひとしきり笑うこととなった。シカたちも、「ん?ナニあれ?仲間か?なんか違うか?」と驚いた顔で軽トラの方を見ていたとか、見ていなかったとか。
休憩の(ため車を止める)たびに声をかけられ「え!これはなに?馬?」「ロバです」「ロバ!」というやりとりが繰り返されたり、の珍道中でしたが、平均30km/hの速度でおよそ7時間かけて無事に帰還しました。
ようやく到着!降りる時はスムーズだったが
ラジオ収録は午前中で終わり、私はロバ小屋の最後の仕上げとして、名前を書いた看板を作り、取り付けるなどしながら待っていたと思う。じりじりとした時間が過ぎる。先輩ロバ飼いCさんも「家にいても落ち着かなくて……!」とらくだ舎にやってきた。まだかな、まだかな、大丈夫かな。今〇〇まで来ました。16時過ぎに着くと思います。15時ごろだったか、一度だけ連絡が入り、やっと少し安心できる。そうこうしているうちに、娘のお迎えの時間。保育所お迎え後、まだかな、まだかな、を娘と一緒につぶやく。
結局、17時少し前に、軽トラはらくだ舎に到着した。来た来た〜!到着を心待ちにしていた我々は、らくだ舎の店の横を通り過ぎた車の音を追いかけて裏へと回る。小屋はらくだ舎の裏手に、すでに完成していた。みんなで走って軽トラを取り囲む。荷台には、伏目がちに、憂いを帯びた表情のロバがいた。ここにロバがいる!可愛くて、嬉しくて笑顔になってしまう。
先輩ロバ飼いの話では、以前先輩のロバを運んだ際には、軽トラから降りようとせずにとても苦労したとのこと。降ろして小屋に入れるまで1時間くらいかかるかもと覚悟していたが、案外すんなりとロバは荷台から降りて、柵の中に移動してくれた。
ちなみに、小屋と柵はほとんどが色川の材木で作られている。色川で製材・木工業を営むトクモク・德森氏が作ってくれた。到着動画もさらりと德森氏が作って送ってくれた。ありがたし。
ロバの名前は、

ミミオレ。私たちのところにやってきたロバは、元々、片方の耳が折れた様になっている。元いた牧場ではたくさんのロバがおり、おそらく個体を識別する意味で元いた牧場でそのように呼ばれていた。もちろん、こちらにやってきた時に名前を変えることもできたが、昨年訪れて聞いたわかりやすいその名が、私たち一家はすんなりと馴染み、意外と可愛い気もしてきて、そのままこの名前にすることにしたのだった。
以降の到着日最初の苦労については、ニュースレターに登録いただいた方限定で見ることができる形です。よかったら登録してくださいね。この続きを読みたくて登録した!という方はどうぞご一報ください。rakudasha.c@gmail.com
最近の仕事(WORKS)
これまでもちょこちょこ挙げてきたが、定期的にこんな仕事したよ、を言っていこう!(いい加減に)と二人で決めた。主に、「編集室」領域の仕事のことだ。言わなければわかりにくい仕事だし、我々に似たような仕事を頼みたいと思っている人もいるかもしれない。
2025年3末公開WEB記事:afMagazine ジャレド・ダイアモンド教授インタビュー
年に2回ほど、海外の研究者の方に取材をして原稿を書く仕事をさせていただいている。逐語通訳に入っていただくため、私は英語を喋る必要はない。しかし、取材の前は数日緊張する。まず、ちゃんとオンラインで繋がることができるかどうか。日本時間と相手の時間を間違えていないか、いつも不安になる。
今回の取材はとくに緊張した。ジャレド・ダイアモンド教授のお名前は、この仕事をさせていただく前から存じ上げていたからだ。40代以上であれば、『銃・病原菌・鉄』と言う著書名を聞けば、ああ、あれを書いた人か、と思い至る方も多いのではないだろうか。
我が家にもこの本はあり、途中まで読みかけて置いてあった。取材にあたり調べると、たくさんの著作が日本語に訳され、出版されている。今回の取材に参考になりそうな著作について、智史に収集を頼み、集まってきた書籍を当日までできる限り読む。しかし正直なところ、全部を読むことはできず、今回の取材に直結しそうな部分に当たりをつけて読むこととなった。タイトルにも表現したのだが、ダイアモンド教授は本当に、「知の巨人」で、学問横断的な知識を持っている。そして、著作は調べられたことを余さず丁寧に書く方向性の方だ。情報が一冊にたくさん詰まっていて、理解しながら読み進めるのに時間がかかった。
世界各地の国、政権がなぜ崩壊したのか?をケースごとに分析し、共通点を見出そうとする『文明崩壊(下巻)』(草思社文庫)をとくに興味深く読み、この本が今回の記事のベースにもなる一冊となった。インタビューでは、本を上梓してから時間の経過した2025年の今、キャリアの終盤に差し掛かっているジャレド教授が世界をどのように見ているのか、という点を重点的に聞き、記事にした。※収集した著作は、らくだ舎の図書室に収蔵している。よかったら借りていってください。
自らを「慎重な楽観主義者」と称するダイアモンド教授は、環境問題は人類が生み出した問題であり、制御も、解決に向けて踏み出すかどうかも、すべては私たちの手中にあるのだと述べています。必要なのは新しい技術ではなく、既存の解決策を適用する政治的な意思だけだ、とも。「環境危機を克服するために最も重要なことは、単一の解決策を探すことではありません。なぜなら、私たちはひとつではなく、少なくとも12の異なる問題に対処しなければならないからです」と教授は言います。
安心したのは、「必要なのは新しい技術ではない」と教授がはっきりと述べていたことだ。数日前にも友人Aさんと話していたのだが、技術革新によって炭素固定すれば気候変動の問題は解決、という考え方が良いとは、到底思えない。きっと別のところで解決しなければならない問題が出てくるに違いないと思ってしまう。人間による技術Aが引き起こした問題Aを、技術Bによって解決したら、その技術Bによってまた問題Bが起きて…いたちごっこを続けていくうちに、自然は回復力を失ない、私たち人間含めた生命は生きづらさを増していくのではないかな。
帰結していくのは、成熟していない民主主義についての話でもあり、私たち市民のリテラシーが本当に試されているのだということ。お金による権力に対抗できるお金の力をどこかに結集しなければいけないのだとジャレド教授は言うが、お金がお金を呼ぶ現代において、それは果たして実現可能なのか、悲観的になってしまう。やれることをやるしかないが、信じて突き進むことができるだけの確信を、なんとか手にできたら良いのにの思う。
色川の棚田あいす、販売開始

らくだ舎喫茶室メニュー 棚田あいす450円。その時々のハーブをのせて提供します
じつはこれも、編集室の仕事なのだと思う。棚田あいすの販売を開始した。
「つなぐ棚田遺産」の一つにも選ばれている「色川の棚田群」。中でも色川の棚田の顔と言えるのが、私たちが住む小阪集落の「小阪の棚田」だ。このアイスは、小阪の棚田で取れた2024年度産米を使用して作られている。
この棚田は、20年前、当時の移住者によって復活した棚田で、現在は住民有志団体「棚田を守ろう会」(以下守ろう会)によって耕作が維持されている。らくだ舎も守ろう会の一員として、大変微力ながら手伝いを続けてきた。現在、守ろう会は活動主体となるメンバーの高齢化や、賛助会員数の減少などの課題を抱えており、耕作面積は最盛期に比べ減少している状況がある。
棚田あいすの製造を依頼しているのは、長野県中川村の株式会社SPOONさんだ。株式会社BEAT ICE(神奈川県葉山町)が棚田の価値を多くの人に知ってもらうために開発した「棚田あいす」の委託製造を行っている。じつはこのSPOONさん、私(と智史も)が前職でとってもお世話になり、今も親しくさせていただいている会社の先輩、玉木美企子さんがその一員となっている。
ここ数年、『二弐に2』の出版をきっかけに縁が深まり、年に1〜2度は中川村、玉木さんのお家に宿泊させてもらってきた(とても快適)。玉木さんは私がもっとも尊敬する編集者・ライターで、心から「先輩だなあ」と思う人物だ。いつ話しても楽しく、元気をもらえて、次々に「憧れ」る要素が加わっていく。玉木さんは自分の今後を考えた時、編集・ライティング以外の仕事の軸も必要だと感じていて、アイス屋を始めたのもその一環なのだ、と言っていた。中川村も棚田の地帯。こんなに近しい間柄で、棚田で、アイス屋を始めて、しかも今後、いろいろなところの棚田のお米を受け入れて、OEMで製造を引き受ける事業を始めるという。これはもう、頼んでみるべきだろう。私たちの持っている人間関係資本をちゃんと活かし、そして耕すために。
人や場所を編み集めて何か新しい価値をつくる……自分で考えていて、そういうことだなと腑に落ちた。私は別に、アイスをただ売りたいわけではない。棚田を守ろう会のストーリーととも売る、というだけでも何か足りない。点と点、縁を繋いで何ができるのか?そこを考えたいから、やることにしたんだと思う。きっと何かするので、これからの展開にご期待ください。
色川の棚田あいすは、らくだ舎で450円(色川のハーブをたくさん添えて)、持ち帰ることのできるカップタイプは550円、で販売しています。食べてみてくださいね。(貴子)
私たちの発信いろいろ
Radio「らくだ舎のきらくなラジオ2 」月1回くらいで更新。暇な時に聴いてください。リンクはpodcastですが、spotifyとYoutubeでも配信してます。
Radio「色川山里ラジオ」こちらはMCを交代交代で務めます(時折不在)。色川住民の人生を聴く番組です。
Instagram お店のこと中心に、日々のことをお知らせ
実店舗 Coffee&Tea&Books らくだ舎 OPEN:木・金・土 10:00-17:30649-5451 和歌山県那智勝浦町口色川742-2 色川よろず屋内
<らくだの足あとって?>登録はメールアドレスを入力するだけ。ゆくゆく、有料の部分を作ったり、緩やかなメンバーシップ制度なども考えていきますが、勝手に課金されたり、こちらに登録・解約の通知が来たり、といったこともありません。登録・解約ともに気軽にどうぞ。
すでに登録済みの方は こちら